日本におけるホメオパシーの歴史と現状

THE AMERICAN HOMEOPATHNORTH AMERICAN SOCIETY OF HOMEOPATHSが発行しているTHE AMERICAN HOMEOPATHのVolume 19-2013に久会長の論文"Homeopathy in Japan - Past and Present"が掲載されました。
こちらでは、論文の全文(日本語)をご紹介させていただきます。

英語の冊子は下記サイトでご購入できます。
▶ http://www.homeopathy.org/clients-view/volume-19-2013/


日本におけるホメオパシーの歴史と現状

日本におけるホメオパシーの歴史と現状について、私見を交えてお伝えさせていただきます。

日本でホメオパシーが本格的、実践的に普及し始めたのは、本当につい最近のことであり、1990年代後半からです。一方で、日本にホメオパシーが入って来たのは、最も古くは1850年代に遡り、当時の西洋医学を紹介する書籍の中でその名前が紹介されたことに始まります。しかし、いかんせん、そこまでの段階で終わっており、さらに詳しい内容紹介がなされたりすることもありませんでした。

その後、1950年代に、西洋医であり、漢方・鍼灸医でもあった坂口弘という医師がドイツに東洋医学を教えに行きましたが、その際、坂口医師は漢方や鍼灸を教えるかたわら、シュトゥットガルトの病院でホメオパシーを学びました。そしてその経験を元に、帰国後、日本で初めてのホメオパシーの書籍である「ホメオパシー療法」(1961年)を出版したのです。これは日本において、初めてホメオパシーを体系的かつ詳細に紹介した書籍であると同時に、訳本ではなく日本人の手によって書かれたという点で、非常に評価に値することでありました。しかし残念ながら、それは西洋医学の急速な発展期を迎えていた当時の日本の医学に対しては、ほとんど影響を与えることはありませんでした。

このように、ホメオパシーは比較的早くから日本に入って来てはいたものの、知っているものすらほとんどいないような状況が長く続いていました。しかし、1980年代以降の世界的な代替医療への関心の高まりを受けて、海外からの情報ルートを持つ一部の人たちの間で、ホメオパシーを利用する人々がちらほら出始め、1990年に入って徐々にその利用人口が増えていきます。そして1990年代後半になって、日本にもようやくホメオパシー団体と専門教育機関が誕生するに至ったのです。

まず、当時HMA(英国ホメオパシー医学協会)認定ホメオパスであった由井寅子氏が1997年にホメオパシー教育機関であるロイヤル・アカデミー・オブ・ホメオパシーを、翌1998年に日本ホメオパシー医学協会を設立しました。時を同じくして、英国で独自にホメオパシーの研鑽を積んだ永松昌泰氏が1997年に教育機関であるハーネマンアカデミーを、2000年に日本ホメオパシー振興会を設立しました。この2人が、日本におけるホメオパシーの草創期に果たした役割は極めて大きなものでした。

その前後より、ホメオパシー関連書籍の出版、ホメオパシーを受けるクライアント、ホメオパスを目指す生徒が増大し、日本全体から言えば、まだまだ認知度は低いと言わざるを得ないものの、それまでの歩みからすれば、殻が割れたかのように、かなり急激に日本におけるホメオパシーの認知度が高まっていった感があります。それに併行して、ホメオパシー団体や教育機関も増えていき、現在では、上記の2つを含めて、主な公的団体としては4団体(教育機関のみのものも含めると8?9団体)となっています。

この比較的急激な広がりは、今から思えば、現代医療に対する不安や不満を前提にした代替医療への期待の高まりの中で、ホメオパシーという、日本にとっては新たな医療に対することさら強い期待から、ある種の熱狂を伴ったムーブメントとして起こってきたものが主体であったようにも思えます。

もちろん、そのような熱狂ということだけでは決してなく、ホメオパシーが宿している、私たちにとって非常に重要な核心部分との共鳴が、もっと深い局面にあったのは確かなことでしょう。その根底には、(無意識的かもしれないにせよ)宇宙の理とそこに存在する生命や現象の本質に気づき、それに根ざして生きることを人生の中心に置こうとする人々が、世界と同様、日本でも一般の人々のレベルでどんどん増えてきているという時代性が確かにあると思われます。ホメオパシーの本質は、まさに宇宙の理とそこに存在する生命や現象の本質を捉え、それを病気の人の治療に生かすということに他ならないわけで、上記のような時代性の中で日本の人々に開かれてきた世界観に、必然的に適合するものであったわけです。

一方で、前述したように、ある種の熱狂の波と言えるものが確かにあったということは、私たち日本のホメオパスはしっかりと認識しておく必要があると思っています。

日本人は古来より和を重んじ、他者との関係性を調和的に作り上げることを、生きることの基盤としてきました。それは日本人にとっては全く自然なものでありました。日本由来の原始宗教とも言える古神道の根幹には、「八百万の神=全てものに神宿る」という考えがあり、それが本来的に日本人の心のありようの基盤になっているからだと思われます。それは、自分以外の全てのもの(=他)がまず大事なものとしてあり、他との調和の中にこそ、初めて自分の存在が活かされる、という根本感覚です。

それは、一面では素晴らしい長所ではありますが、その裏の側面としては克服すべき短所にもなるわけです。それは自己の確立が後回しにされるということであり、その一端として、自分を拠り所にして厳しく吟味しないまま、何となく周りの雰囲気や情緒に流されてものごとを判断したり、行動したりしやすいということがあるようです。

1990年代後半以降、ホメオパシーが日本でかなりの勢いで広まったのも、実は「自然」「副作用がない」「根本的に治す」などの言葉に雰囲気的、情緒的に魅せられ、現代医療へのアンチテーゼの新しい雄として、時として過剰とも言えるほどに大いに期待が盛り上がったが故のことであったとも言えると思っています。そこでは、クライアントもホメオパスも何らか地に足が着いていない、熱に浮かされているような状況を共有していたのではないかと思えるのです。それが2009年に起こったある出来事とその後の経過につながっているように思いますが、このことについては、後に述べることにします。

さて、日本において他団体と比較して圧倒的な規模の大きさを誇っているのが、由井寅子氏が運営している日本ホメオパシー医学協会(JPHMA)であり、そこではいわゆるプラクティカルホメオパシーの範疇をも超えてしまうような独自性(例えば、多種のレメディを長期間連用するような投与法や、独自の混合レメディの開発と使用など)を持った、他にほとんど類を見ないようなホメオパシーが実践、啓蒙されています。日本のホメオパシー人口の大半が、このホメオパシーを受けていると思われ、一般的にも広く知られています。

それ以外のホメオパシー団体は全て、単一レメディの法則、最小投与の法則を原則とする本来的なホメオパシー、いわゆるクラシカルホメオパシーを実践、啓蒙しており、一定の成果をあげているのですが、その全てを併せても、JPHMAとの規模の差はまだ歴然としています。そのため日本では、JPHMAで行っているホメオパシーがホメオパシーの全てであるかのように思っている方が、相当に多いであろうと容易に推測できます。

そんな中、2009年10月にある出来事が起こります。ホメオパスでもある助産師が、自分が出産を担当した女児にビタミンKを与えず、代わりにビタミンKから作られたレメディを投与したことが原因で、その女児がビタミンK欠乏症に陥り、生後2ヶ月で新生児メレナによって死亡したと考えられたのです。翌2010年8月にそのことが大きく新聞に取り上げられ、そこからホメオパシーに対する世間の風当たりが急激に強くなっていきました。

その助産師がJPHMAに属するホメオパスであったことから、JPHMAに対する批判はとりわけ強く、またその批判は、イコール、ホメオパシーそのものへの批判としての高まりを見せ、日本のホメオパシー界全体に大きな影響を与えたのです。

この出来事は、現代医療の否定も含めて、ホメオパシーに対する考え方と用い方の根本的な誤りによって発生したものと考えられますので、ホメオパシーそのものが批判されるのは、本来的にはお門違いなのですが、やはりこれも、きちんとした吟味や議論もないまま、雰囲気的、情緒的、かつ一方的なホメオパシー批判の波となって立ち現れ、一般の方々を巻き込みながら日本中に広がっていったのでした。

ただその中で、その事故への批判とは別な形で(とは言え、そこから波及したことであるのは間違いありませんが)、ホメオパシーそのものへの否定意見も立ち上がってきます。その主な根拠になっているのが、Shangらの2005年のLancet掲載論文です。それをもとに、「ホメオパシーにはプラセボ以上の効果はない」として、ホメオパシーそのものの否定や批判を露にする人々がインターネット上に多く現れ、否定的な意見を書き並べたのです。そのような流れの中で、実際にホメオパシーを受ける方、セミナーに参加する方、ホメオパスを目指そうとする方、いずれも現在まで大幅に減少したままで経過しています。

このようなことは、世界共通の傾向かと思いますが、日本においては、1つの出来事を機に、草創期から10年程度の短い期間でそれが一気に噴出したような形になっているのが独特であると思います。それはやはり、日本のホメオパシーのありようにも問題があったのだと考えるべきでしょう。

私自身は、この一連の出来事は、日本のホメオパシーにとっては、自らを顧みる非常にいい機会になったと考えています。前述したように、日本のホメオパシーの草創期を支えていた大きな力は、やはりある熱狂的な、だからこそとても強い、ホメオパシーを求めるエネルギーであったと思います。そういう力は、何かを作り上げていく時には必要不可欠なものではありますが、一方で、そういう力の働く場には、どうしても頑さやこだわりや気負いや慢心などが、近視眼的な視線と地に足がつかない状態を伴って生じてくるもので、それが様々な問題を生み出しがちです。もちろん、常に大局的な視線を持ち、しっかり地に足をつけながら、日本のホメオパシーの初期の発展を支えて来た方もいらっしゃいます。でも、クライアントにしろ、ホメオパスにしろ、私も含めてその多くは前者のような心情を少なからず持っていたのではないかと思っています。

私は、2009年以降の出来事は、そのような状態を背景として生じてきた、日本のホメオパシー全体にとっての1つの症状であると受け取っています。そして、そういう時期を経た今、これから日本のホメオパシーが、そのような症状に対してどのように働きかけていかねばならないかということに、誠実に、謙虚に、柔軟に、さらに大局的な視線で、さらにしっかりと地に足つけて取り組んでいかないといけない時期に至っていると思います。

私は、その取り組みは、それぞれのホメオパスが揺るぎない実力をつけながら、それによって確実な成果を上げていくことにしか基づかないだろうと思っています。そしてそれは、私たちホメオパスにとって、まず最初に、本来の本当にシンプルなホメオパシーを追求していくということが、何より大切だということを意味するものと考えます。それは1つの生命の全体性における類似性の追求であり、必要最小限のアプローチで最大の成果をもたらすことの追求ということです。その上に、様々な応用があるのです。

まずそのために人事を尽くさずして、ホメオパシーの本質を体感することはできないし、ホメオパスとしての本当の自己を確立することはできないと思っています。なぜならそれがホメオパシーの核心にあるからです。そして、本当の自己が確立できてこそ、初めて本当に他を尊重することができるのだと思うのです。

もちろん誰もがその道半ばであろうと思いますし、私などその道の途についたばかりの、ほんのヒヨッコです。でも、そうであったとしても、そういう意図を持った時に、初めてホメオパスとしての自己を意識することができるし、自分の今いる場所も見えてくるし、何より、他を本当に認めようと思う意図も生じてくることを体感します。

「人事を尽くして天命を待つ」…意訳をすれば、人事を尽くすということが自己の確立であり、天命を待つということが他者を認めるということだと思っています。前述したように、まず最初に天命を待とうとして、人事を尽くすことを疎かにするのが、日本人の本来的なありようであり、私も、これまでの大半をそのようなあり方で過ごしてきたような気がします。

一方で、そのような視点から、日本人の本来的な課題が人事を尽くすことであると捉えると、長い年月を経て、ようやく今、その課題を何とか果たそうと大いに苦闘しているのが現代の日本人のありようである気がするのです。実は、日本におけるホメオパシーの今までの歩みも、そういうところに本質があるように思います。つまり、少し熱狂的で過剰な形で人事を尽くそうとしたが故に、そこでエゴとしての自分が強まり、本来得意であったはずの他を認めようとする心まで見失いかけていたのではないか、それが日本のホメオパシーの現状につながっているのではないか、そう思うのです。

そう思うが故に、これからの日本のホメオパシーは、今までの歩みを内省した上で、本当に「人事を尽くし天命を待つ」ということを、心を尽くして行っていかなければならないのではないかと思うのです。日本のホメオパシーが自らの課題を乗り越え、さらなる発展を成し遂げていくためには、それが何より大事ではないかと考えています。

以上が、私の目を通して見た日本のホメオパシーの歴史と現状です。お読みいただき本当にありがとうございます。心より感謝いたします。

 

 

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